ダバダバダバ

毎日ムシャクシャしてどうにもならないそんな時は、真夜中の高速道路をポール・モーリアをガンガンにかけて疾走したくなりませんか?
という問いかけにあなたはきっとすかしっ屁で返すでしょう。それくらい今、イージーリスニングミュージックが流行っていません。
イージーリスニングが流行ったのはいつ頃なのか今一つ分かりませんが、おそらく60〜70年代くらいでしょうか。アーティストとしてはポール・モーリアやレイモン・ルフェーブルなどが有名ですね。曲自体もテレビ番組でジングル的に使われたり、スーパーで買い物をしている時にBGMでかかってたりすることが多いので、老若男女耳にしたことがあるいわゆる『ベタ』な感じのムードミュージックということになるのですが…いざちゃんと聴いてみるとどんな生活シーンにもマッチしない曲ばかりなのに気づきます。
有名な『シバの女王』を聴いてみましょう。

悲しいとき、嬉しいとき、自分へのご褒美に、冠婚葬祭、入学式、卒業式、結婚式、落語家の出囃子、プロレスの入場テーマ、ドリフ大爆笑のオープニング…想像してみると、どんなシーンにもマッチしない気がします。何というか曲自体が過剰にドラマチックで演出過多になってしまい、つまりはどんな状況もたちどころにダサくなってしまうという。イージーリスニングを乗りこなせる人類は故・城達也氏以外には存在しないと確信しています。
私はこの現象を利用して、鬱屈した気分をうやむやにしてしまうことにしています。何かに悩んでいる時、自己嫌悪に陥っている時、『恋はみずいろ』『オリーブの首飾り』などをガンガンにかけていると、何だか全てがどうでもよくなってくるのです。あとは酒をガンガン飲めば、最終的に酒の力でなんとかなるでしょう。
そして最後に『二人の天使』に合わせてノリノリで前衛舞踏すれば、この世のストレスの8割は解消できるんじゃないかと思います。私はやったことないですけど。

夢見るションベン横丁

今日もお馬さんに夢を乗せて、大きく振り落とされました。
でも宝塚記念のネコパンチは、生き方ってやつとは何なのか教えてくれた気がします。
東京競馬場のターフビジョンで見ていたのですが、スタートした瞬間に笑いが起きていました。もうベロやよだれを出しながらとにかく猫まっしぐらに先頭を目指す。そんな馬がいますか!鉄火場に笑いを。唇に歌を。世界に愛を。私にお金を。
知らない人に向けて説明しますと、ネコパンチという馬は『逃げる』ことによりアイデンティティと人気を勝ち取った馬であり、逃げてはいけない等ととかく叫ばれがちな現代の閉塞感を打ち破るアウトローなんであります。
宝塚記念でもスタートから逃げ続け、最終的には最下位となりましたが、復活を果たしたと言われる1着のオルフェーヴルよりも鮮烈に我々の記憶に残ったのです。どっちも買ってなかったんだけどね!


とにかく今日も負けました。かの遠藤周作も、競馬は負けて肩を落として帰る時の侘しさがたまらない的なことをおっしゃっています。負けを美学に変えるやせがまんこそが男のハードボイルド。でもそんな男臭い私でもフランスギャルなんていう馬が出走したら買ってしまう。そして負ける。そしてまた辛口の菊正宗が欲しくなる…♪やあぱり〜お〜れは〜あああ〜ルパン三世いいい〜
ちょっと意識が混濁してきたのでちょっと覚せい剤打ってきます。

さて、いくらオッズやなんちゃらで馬券を選んでも、結局抗えないのが『名前』の魅力。私が名前に『里』の字が入っている娘になぜか魅かれてしまうのにも似た、なにか運命めいたものを感じます。先述のネコパンチにせよ、今回のフランスギャルにしろ、あと好きな馬でズンダモチとか、私の名前の入ったレッツゴーマークンなんていう馬もいました。当然レッツゴーしないんですけど。そんな馬たちに儚い夢を乗せて、そして散ってゆくのがいいの。今はそうさせて欲しいの…。


あとは、ギャンブルで負けた次の日は会社休んでいい法律があればもっといいの。

夢見るシャンソン人形だけがフランス・ギャルじゃなくてよ!ていうかなんだよその芸名。

瞳はダイナモンド

自分が好きな曲は絶対的な名曲だって信じて傷だらけになりながら今まで生きてきたけど、例えば松田聖子の「瞳はダイアモンド」を聴いてぜんぜん良いと思わない人間がもしこの世にいるなら、俺はもう何もかも捨てていいぜ。部屋中に散らかっているゴミとかを捨てていいぜ。1週間前の東スポとかもう読まないから捨てていいぜ。それくらい大好きな曲がピーターの「人間狩り」なんだけど、それは前に紹介したからやっぱり「瞳はダイアモンド」が好きだ。
この曲がリリースされた当時、俺はまだ小学校T学年だったけど、TVからこの曲が流れてくる度に「さては…なんだかキラキラした時代を俺は今生きているんじゃないか?」というワクワクソワソワ感を子供ながらに感じた。俺はこのまま幸せな時代を生きて、大人になったら綺麗な恋愛をして、それでいてちょっと切なくなったりして、一人週末の都会の夜景を見上げて「今夜は最高!」"音と光の未来をひらくパイオニアの提供でお送りします"みたいな。
そんなことを新潟の漁村に暮らす少年が妄想してしまうような情感がこの曲にはあるんだよ。土曜の夜のタモリが思い浮かぶかどうかはさて置き、とにかく80年代は幸せな時代だったんだなあ…って想い出がよみがえる。大人になって爽やかに傷ついて、傷ついても輝きは失わないダイヤモンドのようにキラキラした未来が俺を待っていると信じて疑わなかった。
それがどうだい…今や…キラキラしてるじゃないかい!だってこの3日でパチンコで28万円も勝ったよ!父さん、母さん、パチンコ玉がたくさんキラキラしていたよ!月収(税込)よりも沢山の収入をギャンブルで稼いだよ!土日はお馬さんがキラキラしてくれるはずだよ!アハハ!アハハハ!アハハハハノヽノヽノ \ / \ / \

シルバニアファミリー・裏切りと哀愁のおうち

ガキ使の後にやってるミュージックフェアみたいなやーつに徳永英明が出演していて、己がカヴァーした昭和の名曲について紹介していた。結果『徳永よ、お前は俺か!』というくらい、いつか俺がカヴァーするつもりだった曲とかぶっていて、失われつつある禁じられたモニュメント、略して失禁してしまうくらい驚きを隠せなかったダス。
「時代」「異邦人」「瞳はダイアモンド」「人形の家」…もし俺が実力派女性シンガーだったなら高らかに吟じ上げたいソングス!徳永は男ながらに実践しているが、まあ聴いてみるとやっぱオリジナルのほうがいいよね…ていうか「人形の家」なんて聴いてグッとくるような客層がまずスタジオにいねえし、客席でデビルマンレディこと冨永愛が口パクしながら聴いてたけどウソだろおまえオリジナル歌ってた弘田三枝子知らねえだろ。たまにテレ東の歌謡曲番組に今でも出てくるけど、完全にアレ放送しちゃいけない生き物になってきてるから。
それを差し引いても弘田三枝子の全盛期の歌唱力は凄い。超弩級の昭和声。しかも昭和40年代で絶滅してしまったと思われる昭和ソウルボイスだと思います。歌詞もすごいしね。昭和感丸出しなんだよどいつもこいつも!大好き!
「人形系」の歌としては伊藤つかさの「少女人形」と双璧をなす人形ソングだと思います。徳永さんもぜひ「少女人形」もカヴァーしてください。それが真のヴォーカリストってもんだろうが!


夢芝居

ひとりぐらしの醍醐味といえば無意味な行動。何の脈絡もないダンスやポージング、それまでの行動と全く無関係な言葉を連呼しているときに何ものにも代えがたい自由を感じます。余りに意味がないため、その日に行ったポージングや独り言などは寝てしまえば忘れてしまう儚いものなのですが、余りに書くことがないためにそんなことも記して生きている証を残したいと思います。
ポージングは基本的に間抜けであればあるほど熱い夜であることを示しているのですが、迷った時にはジョジョ立ちと呼ばれる荒木飛呂彦的な動きをすることが多いです。気分がよいと阿波踊りの途中のポーズみたいな感じが多いです。ポージングは動きがあるために立っている時に行うことが殆どです。部屋の中で立っている時といえば換気扇の下でタバコを吸っている時と相場が決まっているので、くわえタバコのハードボイルド風味からの「どくボラえもんです!」スチャッ!ポーズ!みたいな感じです。この時の「どくボラえもんです!」はなぜか最低3回は言います。ポージングは5秒くらい行って飽きたら全てを忘れてタバコをもみ消し、冷静になるかと思いきや「地球最後の男・オメガマンか…」などとつぶやき、一連のショータイムは終わります。何度も言いますがこれらの行動に全く意味はありません。
今日は特に動きはなく「ムックですぞー!」を全くムックの物まねをせずに行う、という行為に留まりました。なぜ感極まってムックを名乗ったのかはわかりませんが、ネットで見かけた好みのAV女優が調べてみるとすでに引退していたことが分かった瞬間に出た言葉であることは否めません。

人は言うけれど

昔付き合っていた女の子が言ってた。
「誰かと付き合ったりセックスしたりすれば自分が別の人間になれる気がしたけど、ちがった。」
人はうんざりするほど変わらない。でもそう思っているのは自分だけで、傍目から見ればバカみたいに変わって見えたりするんだろうか。そもそも変わるとか変わらないとかどうでも良くなって、開き直って生ていいお年頃なんだがねえ。
いくら生きたって人生の何たるかなんて悟れるはずない。手塚治虫火の鳥くらい生きてやっとボンヤリ分かるくらいじゃないかと踏んでいる。人生なんて真面目に考えても全く意味がない。だから誰の言う事も真面目に聞いちゃいけない。このまえ競馬場で知らないオッサンに聞いた「本命の隣の枠が必ず来る」とかいうオカルト攻略法も早く忘れないと。全然勝てないじゃないかよ!
でもこの前パドックで目があった馬が「今日の俺はやるぜ!見ててくれよな!」などと俺の脳に直接言葉を送ってきたので買ってやったら、スタートからゴールまでずっと最後尾でチンタラしていたよ。もう馬の言葉も信じられない。ひとつ言えるのは、誰かと付き合ったりセックスしても何も変わらないけど、ギャンブルでは人は変わるような気がするのれす。知ってるって?いやお前の言葉は信じないけどな。

峰不二子という私

『ルパンザサード 峰不二子という女』を観ています。
人生は修羅場の数と乳首をつままれた数で決まるような気にさせる、とにかくその気にさせる雰囲気の作品です。とにかく乳首が出てきます。その殆どは峰不二子の乳首です。ルパンも次元も五ェ門もみんな不二子の乳首を見ています。銭形に至ってはセックスまでしています。なんというセクシー。セクサブル。セクシーな人というのは乳首を見せたりセックスをしたりする人なんだなあという事を改めて思い出させます。おお!そう考えるとAV女優ってかなりセクシーじゃねえか!?
女の魅力はセクシーさだけでは語れません。ミステリアスさ。これも大事な要素です。峰不二子のミステリアスさはまず、なんか友達がいないように見えるところです。ルピンをもて遊んでいるように見えますが、他に遊んでくれる人いねえのかよって思います。だから寂しい夜は乳首を出したりしているのでしょうか。女って寂しいと乳首を夜風に当てたくなるのと不二子に言われたらそれはセクシー。それはセックス。いやまだセックスはしていませんが、言葉云々よりもまず乳首が出ている点がセクシー。セクッス。セックヌ。つねに皮一枚のギリギリ感。これが男と女の駆け引き。セクシーな牢獄。嵐が丘ヒースクリフのように。誰それ。向ヶ丘遊園藤子不二雄ミュージアムのように。
峰不二子という女。女という峰不二子。セクシーでミステリアス。ミステリアスで残酷。残酷で土日休み。土日休みで安月給。安月給で水虫。水虫でパチンコ好き。パチンコ好きで義理堅い。そんな俺。不二子はワシじゃぁーい!セックス。