火垂るの墓新劇場版:Q

ちょっと前の映画になるけど、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qの巷の評価って結構渋いものが多かった印象なんだけど、俺はすごい好きなんだよね。ハリウッド的なポップコーンムービーを期待していると肩透かしを食うけど(そもそもエヴァにそんなノリ期待するのもアレな話だけど)フランス映画的なイキフンムービーと考えれば、あの廃墟と化したネルフ本部で繰り広げられる少年少女たちの退廃的なヒマつぶし感が心地よく感じられる。ラストのカヲル君のアレもゴダールの「勝手にしやがれ」のオマージュなんじゃないかって思えてくるほど。あと「コピーは三田」のCMへのオマージュも感じられる。って知らないであろうマンゴー世代のために説明すると、30年前くらいの企業CMで、よく「俺たちひょうきん族」の時間帯にやってた気がするんだけどとにかく退廃的。企業イメージ的にどうなんだろうと心配になるくらいのカタストロフィ感なんだけど、その後倒産したからまあイメージ通りにはなったわけですな。
でもファンの間の説のひとつで、エヴァの新劇場版はサブタイトルの(NOT)がついている世界とついてない世界がパラレルに存在する、というものがある。Qのサブタイトルは「YOU CAN (NOT) REDO.」だから、「YOU CAN REDO.」の世界もまた存在する可能性があると。サードインパクトの後に
「いやー昨日のサードインパクト大変だったねえ。今日の電車だって間引き運転で全然来なかったよ。こんな時くらい会社休みにしろってんだよねえ全く。」
みたいな感じでまた日常が続いていく世界も描かれていないだけで存在しているということなのかもしれない。

今日久しぶりに金曜ロードショーで「火垂るの墓」観たんだけど、今更ながら泣いたよ。ベタに泣いた。高畑勲監督もこれ新劇場版作ってくれないかなあ。清太と節子をREDOさせてあげてくれませんか。まず包帯グルグル巻のトラウマ母さんが、実はあれ人違いで生存ルートとか。叔母さんの家を少年ギャング化した清太が乗っ取るとか。ラストに疎開から帰ってきたと思われる金持ち一家(蓄音機で埴生の宿をかけるやつ)の家をギャング化した清太と中岡ゲンが乗っ取るとか。清太も14歳でエヴァのチルドレンと同い年なんだから、きっとやり直せるよ。節子は何度死んでも清太を助けるために月からやってきてくれるよ。節子死んだらアカンやないか!節子それドロップやない、ロンギヌスの槍や!