峰不二子という私

『ルパンザサード 峰不二子という女』を観ています。
人生は修羅場の数と乳首をつままれた数で決まるような気にさせる、とにかくその気にさせる雰囲気の作品です。とにかく乳首が出てきます。その殆どは峰不二子の乳首です。ルパンも次元も五ェ門もみんな不二子の乳首を見ています。銭形に至ってはセックスまでしています。なんというセクシー。セクサブル。セクシーな人というのは乳首を見せたりセックスをしたりする人なんだなあという事を改めて思い出させます。おお!そう考えるとAV女優ってかなりセクシーじゃねえか!?
女の魅力はセクシーさだけでは語れません。ミステリアスさ。これも大事な要素です。峰不二子のミステリアスさはまず、なんか友達がいないように見えるところです。ルピンをもて遊んでいるように見えますが、他に遊んでくれる人いねえのかよって思います。だから寂しい夜は乳首を出したりしているのでしょうか。女って寂しいと乳首を夜風に当てたくなるのと不二子に言われたらそれはセクシー。それはセックス。いやまだセックスはしていませんが、言葉云々よりもまず乳首が出ている点がセクシー。セクッス。セックヌ。つねに皮一枚のギリギリ感。これが男と女の駆け引き。セクシーな牢獄。嵐が丘ヒースクリフのように。誰それ。向ヶ丘遊園藤子不二雄ミュージアムのように。
峰不二子という女。女という峰不二子。セクシーでミステリアス。ミステリアスで残酷。残酷で土日休み。土日休みで安月給。安月給で水虫。水虫でパチンコ好き。パチンコ好きで義理堅い。そんな俺。不二子はワシじゃぁーい!セックス。